蛇尾避行(だびひこう)
突然、美少女に腕を掴まれた。
「えっ!?き、君は!?」
「走って!詳しい話はあとよ!」
言われるがまま僕は、彼女に手を引かれて駆け始めた。真っ赤な長い髪と瞳を持つ彼女は、嫌でも周囲の目を惹く存在だった。
タッタッタ…。
土曜日の昼、渋谷の中心街。人混みを掻き分けるように、あるいは縫うように、前へ前へ進んでいく。ごめんなさい、通ります。ごめんなさい。そう謝る暇もない程、無我夢中で動いた。
タッタッタ…。
「ねぇ、どこに向かってるの?ねぇってば!」
「今はそれどころじゃないわ!」
足がもつれそうになりながら、どうにか前へ前へと進む。遊び慣れた場所だがこう動くと、渋谷ってこんなに人が多いのか、と痛感する。急いで、進まなきゃ。
タッタッタ…。
人混みを掻き分ける。高校生か大学生ぐらいだろうか、それぐらいの男女が大部分だが、外国人と思わしき方もそれなりに多い。すみません、と言葉での伝え方が分からないので、何となく申し訳なさそうな顔をしながら掻き分けた。
「ね、ねぇ、まだ?まだだよね?」
「無駄口はあとよ、急いで」
LOFTから109の辺りを走っていく。車道からは自動車の排気音と、改造バイクのとりわけうるさい排気音と、高収入♫のアナウンスが耳に入る。構っている場合じゃなさそうだ。
タッタッタ…。
109が大きく見えてきた。はっ、はっ、はっ、と息は既に荒くなっていた。彼女は依然厳しい顔で、しかし平然と走っている。自分の運動不足を痛感した。足が痛くなってきた。
「ねぇ、本当にどこに行くの?」
「詳しい話はあとよ」
チラ、と後ろを振り返る。掻き分けた直後の人が少しだけ鬱陶しそうな顔をしている以外は、いつもの、土曜の渋谷だった。先ほどの高収入♫は遠くなり、次の高収入♫が近付いてくる。人手不足なのだろうか。クレープの甘い匂いがする。
タッタッタ…。
渋谷駅が近付いてきた。遠目からでも、駅前は特に混み合っていることが分かる。いつもの土曜の渋谷だ。駅の手前で、信号が赤に変わった。彼女、と僕はピタリと足を止めた。
「止まるの?」
「うん、止まるわよ」
止まるんだ。初めは周囲の目を惹いていた彼女の赤い髪も、そういうファッション、と街に片づけられ始めていた。少しのインターバルのあと、信号のLEDが赤から青に戻った。僕と彼女は駅に向かって歩き始めた。
テクテクテク…。
これは何?歩き始めたら普通に歩いてるんだけど、歩いていいんだろうか。何かこう、敵、とか、追っ手、みたいなのが迫っていると思っていたが、違うのだろうか。駅に着いてしまった。
「乗るの?」
「うん、乗るわよ。乗ったことある?」
「そりゃ、まあ」
「あっははははは!おっかしい!」
「は?」
この子は誰なんだろう。いいから付いてきて、という彼女の言葉通りSuicaで入構し、ホームで山手線を待った。ポケットに入れていたスマートフォンを手に取った。12:25。走ってかいた汗も、徐々に治まってきた。
~♫
ものの数分で電車は到着し、身体を折り畳むようにして車内へ入っていく。昼過ぎということもあり、通勤通学時間ほどではないが、ギュウと混み合っている。汗の匂い気にならないかな、すみません、自分でも分かってるんです。何となく申し訳なさそうな顔をし続けた。
『次は、品川』
アナウンスの後、英語、韓国語、中国語での同じ内容のアナウンスが続く。乗り換えるわよ、と彼女が呟いてきた。駅に着きドアが開くと同時に、人の流れに逆らわない形でホームへと自分を吐き出した。階段を上り、下り、次の電車を待った。
~♫
乗った。
『次は…』
アナウンスの後、先ほどよりずっと小さな人の流れに逆らわず、ホームに吐き出された。降りるわよ、と呟いた。階段を上がり、改札にもう一度Suicaを押し当てる。目の前には商業施設、グランディオ蒲田が広がっていた。
「蒲田?」
「そう、蒲田。付いて来て」
今まで用事がないので、蒲田で降りたことはなかった。独特な雰囲気のする商店街を歩いていく。どこに行くんだろう。ドッキリ?いや、ドッキリで蒲田に来ることなんか無いか。妙な納得をしていると、見覚えのあるような無いような、原色の看板が目に入ってきた。
入るわよ
うん
…
すみません、
…
パクパクパク…
…
パクパクパク…
…
「あぁ~ん!もう食べられない~!残り食べてぇ~ん!」
「いや、"見ず知らずの男に山田うどんのパンチ定食の食べ残しを処理させるキチガイ女"かい!ずこここここ!」
あ、終わりです。